僕は知っている

とかく電車内において、事件はよく起こる。

 

 

 

見ず知らずの老若男女が所狭しと

詰まっている状況にあっては、

人は常に危険と隣り合わせなのである。

 

今回の事件もそんな電車内で起きた。

起きた、というか自分が起こしてしまったのだ。

 

 


仕事終わり、少しでも早めの電車に乗りたい。

それがサラリーマンの常である。

 


はやる気持ちを抑えられず、閉まりかけた扉に

飛び込んでいく、そんなシーンをよく見かける。

 

 


その日はいつも通り仕事を終え、帰路についた。

最寄り駅の改札を通り過ぎ、目の前の電車の扉が

ブザー音とともに今まさに閉まろうとしている。

 


さすがの僕もこれには乗れまい、と

思ったその時、1人の勇敢なサラリーマンが

その扉に滑り込んでいった。

 

やれやれという気持ちと、ある情景が

とっさに頭に浮かんだ。

 

そう、駆け込み乗車があった場合、

すぐにもう一度扉が開くのだ。

 


絶対とは言い切れないが、何度も

そのような光景を見てきた。

 


乗り遅れのサラリーマンには

敗者復活戦があることを、

僕は知っている。

 


その「もう一度扉が開く」ことを利用して

乗車できないか、一瞬のひらめきで

そう考えた訳である。

 

 

 


目の前で扉に滑り込んだサラリーマンを

ガラス越しで見据えながら、気が付くと

扉に向かって軽快にステップを踏んでいた。

 

 

「開け!」

そう念じると、すぐに扉が開いた。

「よし!やった!」

と思って電車に右足を踏み入れ、

体を滑り込ませることができた、と思えた。

 


そこで安心してしまったのだろう。

 

 


おかしい。左腕がおかしい。左腕が動かない。

そう、扉に挟まれたのである。

左腕がガチガチである。

すいませーん、挟まってる人がいますよー!である。

 

電車の扉の閉まる早さはこんなにも早いものか。

そして扉の閉まる強さはこんなにも強いものか。

 


1人目の駆け込み乗車ならまだしも、

2人目は絶対に許すまい、

車掌の強い気持ちがひしひしと伝わってくる、

そんな強さだ。

 


 

周りの人からは一体どのように見えただろか。

「なんだコイツは」である。

 

満員電車に近い夕刻の電車内に、

ネズミ捕りに挟まれたネズミかのごとく

動けなくなった男がそこにはいた。

ピクピクと左腕を動かしている、

ネズミより醜い男がそこにはいた。

 

恥ずかしいなんてもんじゃない。

みんながこっちを見ている。

何秒挟まれていたかは覚えてない。

 


先に滑り込んだ恐らくサラリーマンは私の

“挟まれ”を嘲笑していたに違いない。

 

 


「駆け込み乗車おやめくださーい」

よく耳にするこのアナウンスが自分に向けられた

ものである事に気付くのに時間は掛からなかった。

 

 


左腕が自由になったとき、消えたくなった。

消えたくなった、なんてもんじゃない。

自分は消えなくてはいけない存在である。

敗者復活戦で負けた敗北者だ。

 

 


車両移動が出来ない満員電車の中で

僕は目を閉じて揺られていた。

きっと誰かが僕を見ている。

挟まれて身動きが取れなくなった僕を見ている。

目を開いたら負けだ。また負けてしまう。

 


電車が止まり、扉が開いた音がした。

降りる予定のない駅で、そそくさと降りた。

電車を降りた後も、まだ誰かがこっちを

見ている気がするのは、気のせいだろうか。

 


駆け込み乗車は絶対にイケない。

電車が遅延する可能性もある。

怪我人が出る可能性もある。

 


しかも今回は悪意に満ちた駆け込み乗車だ。

 


車掌さん、同じ電車に乗っていた人、

どうか僕を許して欲しい。

稚拙な判断ミスは二度と犯さない。

 


かつて、「駆け込み乗車をやめさす為には

扉の黒いゴムの所を鋭い刃物にしたらええねん」

と意気揚々に語っていた自分を蹴飛ばしたい。

 


左腕が無事残っている事に感謝しながら、

その日は眠りについた。

 

 

 

 


 

一念発起の日に

 

男性の人生における一大イベントと言えばやはりプロポーズも上位に入るでしょう。


どんなシチュエーションが良いのか、
どんなプレゼントが良いか頭を悩ませ、
彼女に生涯のパートナーとして選んで貰う、
その一言の為に何ヶ月も費やす訳です。


そして、また彼女もその一言を何年も待ち
幸福に満ちた希望を抱いている訳です。


今日はそんな人生一大イベントである、
プロポーズに折り合いが付かなかった
先輩の話をご紹介させて頂きます。


僕の嫌いなA先輩はいつも上から目線で、
自慢が多く、冗談もあまり通じない
面倒なタイプな先輩です。


お前最近の野球選手も知らねーのかよ?
甲斐キャノンだぜ?と、
自他共に認める野球バカでもあります。


そんなA先輩宅で鍋パーティをした折、
結婚の話になり、先輩にふと、
「先輩もそろそろ結婚じゃないすか?」
と尋ねてみました。


すると、
「言ってなかったっけ?
  俺たち、別れたんだよねー」
という予期せぬ返事が返ってきました。


「しかも物まで用意してたのにさぁ」
と香ばしそうなトッピング付きです。


「先輩どういう事っすかそれ!
  指輪か何か用意してたのに、ですか?」


「そうだよ。
  指輪じゃないんだけどさ、
  プレゼント見せたら何か違うって
  なって最終的に俺がフったんだけどね」

 


いやいや、婚約のプレゼントまで見せて、
「俺からフったんだけどね」は無いでしょと。


しかも「なんか違うな」って感じに
なったのは彼女の方でしょと。
それつまりプロポーズしてあんたが
フられたパターンのやつでしょと。


  ”プロポーズしてフられてた癖に
  甲斐キャノン!とか言ってんのかよ”


と笑いそうになったんですが、
これは面白そうな展開だぜ!と
更に掘り下げて聞いてみる事にしました。


「先輩、プレゼントは何にしたんすか?」
と聞いてみると、少し照れながら
「これなんだけどさあ、」
と奥の方から箱を取り出してきました。


綺麗なラッピングの中から出てきたのは
凄くカラフルな野球のグローブ。


横側には《Will You Marry Me?》の文字。
内側には《俊之♡洋子》という刺繍。


  ”おいおいマジかよ!
   目も当てらんねえ!
  どんな顔してお披露目したんだよ!”


と、また吹き出しそうになりました。


本人は至って真面目な顔をしながら、
「あんな奴を選んだ俺が馬鹿だったよ」
とか、ぶつくさ言ってるんです。


まずグローブっていうのが凄い。
いやそりゃ何か違うなってなるわと。


貰った方はどうしたらいいんですか!
挙式まで薬指にダイヤモンドの代わりに
左手にグローブはめておくんですか!


あと色が凄い。凄い色彩感覚。
昆虫で言ったら完全に毒持ってる。


もうね、見るからに危ない色してんの。
外敵の鳥さん達も、
こいつはおっかねーや、て
近寄りもしない、そんな色してんの。


箱から出てきた時は、
アメリカでよく売ってる体に悪そうな
ケーキが出てきたのかと思ったくらい。


太ったアメリカ人も
  ”アンビリーバブル!
   こりゃ食欲無くすぜえ!”
てそっと箱を閉じるくらい。


でも、先輩も神妙な面持ちで、
「すげーいいプレゼントだろ?」
とか言ってるんです。


私も必死で笑いをこらえながら、
「世界に一つだけのグローブですもんね」
と、なんとか言葉を絞り出しました。


それがきっかけとなり、先輩の
この毒グローブに対する思い入れが
一気に溢れ出てきてしまいました。


「そうなんだよ!
  まずここの緑とピンクの色はさ、
  俺と彼女が好きな色なんだよね」


    おいガチャピンの色合いじゃねぇか!


「それからこのグローブひもが赤いのは
  運命の糸で結ばれてるってこと」


     おいこれ以上はやめてくれ!
     笑いをこらえきれねえ!


「この部分が白いのは、これから二人で
  真っ白なキャンパスに人生を描いて...」


「ぶーーーっ!!」


ダメでした。笑ってしまいました。
あろうことか先輩のプロポーズ失敗談を
後輩の私が笑ってしまいました。


まだ癒えてない傷にてんこ盛りの塩を
塗りたくってしまったのです。


「おい!何笑ってんだよ!」と
こっぴどく怒られてしまいました。

 

 


一生の記念になるはずのプレゼント。
想いが形となったフルオーダーメイド。
それを見せられた時の彼女の気持ち。


色んな思いが交錯したまま、
先輩の家を後にしました。
夜風が冷たく、身に染みた日でした。

 

ボク、こんな人知らないよ!

人生の中で経験する”気まずい思い”の中で
”人違い”の気まずさは群を抜いている。


先日、祖母の喜寿のお祝いをする為に、
熱海温泉の旅館に親戚一同集まった。
従姉妹家族や両親などがこうして
集まるのは実に何年ぶりであろう。


まだ小学生にもなっていなかった従姉妹が
今やピチピチの女子大生になっている事に
驚きを隠せ得ぬまま、
”今大学でメチャ流行ってるんだよねー”と
訳の分からぬビジュアル系バンドの歌を
小一時間と聞かされ、たじろいでいた。


”歌詞が素敵だね”と差し障りのない感想で
その場を凌ぎ一人そそくさと熱海の名湯を
堪能しようとその場を立った。


  人がオススメしてくる曲というものは
  得てして耳に合わないものだなあ、、


と浴衣を脱いで露天風呂に向かうと、
こぢんまりとした空間には、知り合いと
おぼしき二人組の男性の姿が既にあった。


ガラガラと私がドアを開けて入ると同時に
入れ代わりで一人が脱衣所へ出て行った。


残されたもう一人の男はどうやらそれに
気付かず頭を泡まみれにして洗っている。


特に気にする事なく、私も隣のシャワーで
体を流していたら、


”いやー優勝出来なかったのは悔しいね”


と、オッサンの声が露天風呂に響いた。
無論、そこには私と初対面のオッサンの
二人しかいない。


昼間に何かの大会があったのだろう、
それに負けた悔しさを初対面のオッサンが
分かち合おうとしてきたのである。


本来であれば、戦い抜いた仲間と裸で
語り合う、およそ名場面に等しいシーンだ。


しかし、そこにいるのは初対面の二人だ。
”ボク、こんな人全然知らないよ”である。

 


一瞬のうちに色々な考えが頭をよぎった。


人違いをしている事を相手に伝えようか、
だとしても何と伝えていいかも分からない


仲間のフリをして適当に返事をしようか、
しかし気付かれた時はもっと最悪だ

 


明らかに声は聞こえていたのだが、
私が選択したのは


”ボクもよく聞こえないから返事しないよ”


という王道中の王道パターンだ。

 


慌てて私も頭にシャンプーをこすりつけ、
状況証拠を作り上げた。


しばらく不自然な沈黙が続いた後、
どうやら相手も洗い終わったのか、
背後にある浴槽へと入って行った。


”でもこうして今も変わらず集まれるって
  ホント素敵な事だよなあ”


どうやらオッサンは俺を仲間と信じて
疑っていないようだ。


しかも熱海の夜に輝く星空の下、
ロマンチックに仕上げてきている。


何が素敵だ。
こっちはけたたましいロックを聞かされ、
挙句に見た事もないオッサンに延々と
話しかけられ続けているのだ。


その後もメンバーの配置がどうだ、
誰かが転勤を機にチームを抜けるだの、
上機嫌なオッサンとは、返事もない相手と
こうも話し続けられるものなのか。


とうとう、その時が来た。
体も洗い終わった私は、意を決して
振り返って浴槽へと向かう事にした。


片足をお湯に入れたタイミングで
オッサンと目が合った。


オッサンは、ハッとした表情を浮かべ、
瞬時に状況を察したようだ。
何とも言えぬ表情で頭をぺこりと下げ、
そそくさと脱衣所へと向かっていった。


言うなればオッサンもまた被害者である。
熱海という日本屈指の名湯に浸かりながら
盛大な人違いをやってのけたのだ。


それは、仲間であろう友人の
”先にあがっとくね”
という一言があれば防げた。


そういう心遣いが無いから、
優勝さえも取り逃がすのだ。

 


それはさておき、脱衣所の方から、
”てっちゃーーーん!
俺人違いしちゃってたよ!
返事無いからおかしいと思ってたんだよねー!”
とオッサンの少しはにかんだ声が聞こえた。


そこには私とは似ても似つかぬ内山信二
そっくりな、よく肥えたスキンヘッドの
”てっちゃん”が歯を磨いていた。


おいオッサンよ、どう見間違えたら
俺とてっちゃんを勘違いするんだ。
おいオッサンよ、やはりお前は加害者だ。

 

 

 

 

暴れん棒

 

先日の連休を利用して実家に帰り、
中学時代の同窓会に行って参りました。

 

卒業してから早十余年、当時の面影を
残した友人、消息不明だったクラスメート、
誰だかよく分からない女の子などと再会し、
同窓会の醍醐味をひとしきり堪能しました。

 

同窓会は非常に盛り上がり、朝方に〆の
ラーメンを食べながら、
ああ同窓会とはなんと素敵なものなんだ、
と心酔しておりました。

 

一方で、その日のうちに約200km離れた
現在の住まいまで車で帰らねばならず、
連休中の大渋滞を避ける為、徹夜明け
そのまま早朝に高速を飛ばして帰ろうと
考えておりました。

(無論昨夜はノンアルコールで凌ぎました)

 

快調に飛ばしていた高速道路でしたが、
大渋滞の名スポットで見事にどハマりし、
ピタッと動きを止めてしまいました。

 

最悪である。


眠い上、無理をして早朝帰りを選択したのに
大渋滞にも巻き込まれてしまった。

 

と同時に、猛烈な尿意に見舞われてしまった。
車は動かない、尿意は止まらない。
小さな空間に静と動が共存していた。

 

こういう時こそ冷静になるんだ、と
色々なことに頭を巡らしていると、
いつぞやの誰かが言った、
「高速によく落ちてるお茶っぽい色の
ペットボトル、実はあれトラックの
運ちゃんの小便らしいぜ」という言葉と
再開を果たした。

 

なるほど。さすが運ちゃんである。
頼りになるのはいつも運ちゃんである。

 

もう限界だよー、
と言っている膀胱を無視して、
目の前のペットボトルの水を飲み干した。

 

初めて車の中でズボンを脱ぎながら感じる、
未知なるアドベンチャーと仄かな緊張感。

 

今までよく我慢したな、と労いの言葉を
かけてやりたいのは、我が相棒である。

 

お粗末ながらもすごく可愛いやつで、
30年近くいつも一緒に人生を歩んできた。

そんな相棒をそっとペットボトルの口に
あてがう。


相棒は少し驚いたような顔をしていたが、
彼らは見事にジャストフィット。


ああ、ここが俺の新たな居場所かあ。
と言わんばかりである。

 

非日常空間での放尿に、そっと緊張を
解いてやると、少しずつ我が溶液が
ペットボトルを満たしていく。

 

するとどうだろう、相棒とジャストフィット
を果たしたペットボトルは、私の予想に反した動きをする事になる。

 

放尿と共に、中の空気が抜けずどんどんと
内圧が高まり、あろうことかそのはけ口を
我が相棒へと求めているではないか。


圧でパンパンとなったペットボトルは、
我が相棒をブリんっ!と外に吐き出したのだ。

 

やばい!すぐに止めねば!と思うのですが
皆様も検尿などを通してご承知の通り、
一度出始めたものはなかなか止まらない。

 

旦那ぁ、昨晩は結構飲まれたんすネ!
と言わんばかりに何も知らない相棒は
気持ち良さそうに仕事を続けている。

 

次第に車の座席がひんやりしてきましたが、
まだ間に合う!まだ大丈夫だ!と、くっと
奥の方でその流れを止める事が出来た。

 

ここからは何が何でも慎重にいきたい。


しかし更に悪いことにこのタイミングで
少しずつ渋滞が解消し始めたのである。

非常によくない展開だ。

 

俺の集中力は今股間に注がれている。
運転なんぞ今は二の次だ!

 

緩やかに動き始めた高速で、自分の車だけが
不自然にブレーキランプを点滅させている。

 

少し動いてはカクン、動いてはカクン、
その動きに伴なって暴れ回る相棒が二度と
元の鞘に収まる事はなかった。

 

オイラ、もう調整できんすヨ!と、
相棒は匙を投げ、私のダムは決壊はした。

 

昨晩までグラスに入っていたウーロン茶が、
私の中で温かいおつゆとなり足をつたう。

 

この感覚、何年ぶりだろうか。
もうペットボトルさえ手に持っていない。
今はただ、生物の掟に逆らわず時を過ごす。


気付いた時には、恍惚とした表情で
ハンドルを握っていた。

 

さっきまでの苦しみが嘘のように無くなり、
身体が楽になっている。

 

この虚無にまみれた達成感は、
まるで集合時間を2時間過ぎて
目を覚ました時の感覚に似ている。

 

朝8時。


ゆっくりと曲がり切った先に見えた
パーキングエリアのトイレの中。

 

下半身にまとわりついた朝露を無心で
拭き取っている男が、そこにはいた。
隣では優しそうな父親が3歳くらいの
男の子にちゃんと持たないとこぼすぞー。
などと言っている。

 

少年よ、男は持っていてもこぼす時が来るのだ。

 

喉元まで出そうになりましたが、
ぐっとこらえ帰路につきました。

 

自宅までどうやって帰ってきたかは
よく覚えていません。