ボク、こんな人知らないよ!

人生の中で経験する”気まずい思い”の中で
”人違い”の気まずさは群を抜いている。


先日、祖母の喜寿のお祝いをする為に、
熱海温泉の旅館に親戚一同集まった。
従姉妹家族や両親などがこうして
集まるのは実に何年ぶりであろう。


まだ小学生にもなっていなかった従姉妹が
今やピチピチの女子大生になっている事に
驚きを隠せ得ぬまま、
”今大学でメチャ流行ってるんだよねー”と
訳の分からぬビジュアル系バンドの歌を
小一時間と聞かされ、たじろいでいた。


”歌詞が素敵だね”と差し障りのない感想で
その場を凌ぎ一人そそくさと熱海の名湯を
堪能しようとその場を立った。


  人がオススメしてくる曲というものは
  得てして耳に合わないものだなあ、、


と浴衣を脱いで露天風呂に向かうと、
こぢんまりとした空間には、知り合いと
おぼしき二人組の男性の姿が既にあった。


ガラガラと私がドアを開けて入ると同時に
入れ代わりで一人が脱衣所へ出て行った。


残されたもう一人の男はどうやらそれに
気付かず頭を泡まみれにして洗っている。


特に気にする事なく、私も隣のシャワーで
体を流していたら、


”いやー優勝出来なかったのは悔しいね”


と、オッサンの声が露天風呂に響いた。
無論、そこには私と初対面のオッサンの
二人しかいない。


昼間に何かの大会があったのだろう、
それに負けた悔しさを初対面のオッサンが
分かち合おうとしてきたのである。


本来であれば、戦い抜いた仲間と裸で
語り合う、およそ名場面に等しいシーンだ。


しかし、そこにいるのは初対面の二人だ。
”ボク、こんな人全然知らないよ”である。

 


一瞬のうちに色々な考えが頭をよぎった。


人違いをしている事を相手に伝えようか、
だとしても何と伝えていいかも分からない


仲間のフリをして適当に返事をしようか、
しかし気付かれた時はもっと最悪だ

 


明らかに声は聞こえていたのだが、
私が選択したのは


”ボクもよく聞こえないから返事しないよ”


という王道中の王道パターンだ。

 


慌てて私も頭にシャンプーをこすりつけ、
状況証拠を作り上げた。


しばらく不自然な沈黙が続いた後、
どうやら相手も洗い終わったのか、
背後にある浴槽へと入って行った。


”でもこうして今も変わらず集まれるって
  ホント素敵な事だよなあ”


どうやらオッサンは俺を仲間と信じて
疑っていないようだ。


しかも熱海の夜に輝く星空の下、
ロマンチックに仕上げてきている。


何が素敵だ。
こっちはけたたましいロックを聞かされ、
挙句に見た事もないオッサンに延々と
話しかけられ続けているのだ。


その後もメンバーの配置がどうだ、
誰かが転勤を機にチームを抜けるだの、
上機嫌なオッサンとは、返事もない相手と
こうも話し続けられるものなのか。


とうとう、その時が来た。
体も洗い終わった私は、意を決して
振り返って浴槽へと向かう事にした。


片足をお湯に入れたタイミングで
オッサンと目が合った。


オッサンは、ハッとした表情を浮かべ、
瞬時に状況を察したようだ。
何とも言えぬ表情で頭をぺこりと下げ、
そそくさと脱衣所へと向かっていった。


言うなればオッサンもまた被害者である。
熱海という日本屈指の名湯に浸かりながら
盛大な人違いをやってのけたのだ。


それは、仲間であろう友人の
”先にあがっとくね”
という一言があれば防げた。


そういう心遣いが無いから、
優勝さえも取り逃がすのだ。

 


それはさておき、脱衣所の方から、
”てっちゃーーーん!
俺人違いしちゃってたよ!
返事無いからおかしいと思ってたんだよねー!”
とオッサンの少しはにかんだ声が聞こえた。


そこには私とは似ても似つかぬ内山信二
そっくりな、よく肥えたスキンヘッドの
”てっちゃん”が歯を磨いていた。


おいオッサンよ、どう見間違えたら
俺とてっちゃんを勘違いするんだ。
おいオッサンよ、やはりお前は加害者だ。